走馬灯を引き受けること
- snishizawa3
- 10月24日
- 読了時間: 2分
最近、重松清さんの「はるか、ブレーメン」を読みました。
走馬灯…人は皆、いつか死にます。自身に残る大切な記憶の断片が総集編の様に最期現れるといいます。自分が見たい場面も見たくない場面もそこには現れる様です。
自分の見たくない場面を切り取り編集する事ができ、それをお仕事にしているという小説の設定です。
昨年度、私達は18人の方をご自宅でお見送りさせて頂きました。
後悔のない人生なんてない。迷惑をかけない最期なんてない。きれいなきれいな想い出ばっかりの人なんて居ない。
そう、私は最近思います。
それら全てを引き受けて旅立つ事、残された者へ大切な何かを引き継ぐ事、それが人たるが故の最後の発達課題なのではないかと。
それはもしかすると走馬灯の書き換え、呼び起こし、紡ぎ直し…その様なお手伝いがとても大切なことなのではと思います。
私達は最期の発達課題を乗り越えるべく、支援者としてその側に居ますが、その荒波を乗り越えた後の静かな凪と穏やかなお顔を見ると、何故かこちらが勇気づけられます。
私達が誰も知らないその場所に立たされる事、その景色はどんな風でしょう。
あなたが走馬灯を引き受けるお手伝いを私達はできていますか…
読み終わった後しばらくぼんやりと澄んだ秋空を見ていたのでした。
看護師 渡邉






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