私のLoved One
- 2 日前
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私の大切な人、一番は父だと思っています。そして息子。昔は息子が一番でした。でも今、息子には素敵な伴侶がいるので私の気持ちは控えておきます。血縁って他の人と違いがあるのか?違った感情があるのか?言及しませんが、少し特別なものを異性の相手に求めてしまうのかもしれません。
6月21日(日)に実父の13回忌法要と実家の墓じまいを終え、心のモヤモヤの原因、頭痛の種の一つに区切りをつけることが出来ました。 跡継ぎ・墓守のいない実家ゆえ、早すぎるお寺との別れではとの思いと、姓を変えた三人姉妹の身体稼働力・経済力を思うと今後の墓参り継続の見通しは困難。このはざまで、姉が父からゆだねられた期日であったようです。
私の知る父は、灰にまみれ真っ黒になりながら働く職人です。自営業で夜遅くまで仕事していましたが、仕事場の黒板にツルカメ算などの算数の問題のメモを書いて、姉の宿題を解いていました。
勉強好きだったけど病弱だったので身体試験ではねられ、中学校には受からず尋常高等小学校卒だと、試験の様子を言葉にして聞かせてくれました。それは本当の事なのか、父のつくり話なのかはわかりません。幼いころから物の語源や昔の世の中の出来事を色々聞かされた私にとって、物知りで自慢の父でした。
最期の療養生活の時に病院を訪ね、想い出話として父に話した時に、「え、そんなの言ったっけ、本当やと思ったんか?面白いかなと子供への作り話だよ」と笑って答えてくれたとき、博識の父の正体を知りました。辛いことも面白いしくじり話にして笑い飛ばす大阪人の父でした。
小学生の頃毎日、姉妹三人の食パンをトースターで程よくこんがり焼いてマーガリンを塗り、カップに1さじのインスタントコーヒーの粉を入れお湯を注いで、朝食を食べさせてくれたのも父でした。母がいなかったわけでなく、低血圧で朝に弱い母への気遣いの役割分担でした。母は父の仕事を一緒に手伝って遅くまで働いている、そんな家庭でした。
私の役割は食事の皿洗い。一日の最後には洗った食器が戸棚にしまわれるまで片付いているように、母より仕込まれました。流しの周りに飛んだ水滴もきれいに拭き上げるまでが工程。学校帰りが遅くても、友達と外食してきても、最後の食器洗いは私の役割だった記憶があり、好きな事にとことん挑戦して疲れ果てるなんてできない居候時代でありました。 私は4歳の時に母の実家の祖父母の養女となり、父母姉妹とは別の姓で同じ家に住んでいましたから、居候って感じがピッタリでした。三人の大学卒業までを応援し養ってくれました。
「尋常小学校ではそんな事教わらんかった」が父の口癖でした。 ○○神道から元の仏教に戻し墓を再建し、大阪から大山田の寺へ電車・バスを乗り継いで墓参りをする父の原動力は何か聴くことはなかったのですが、行事ごとに墓参りする父の行動に、計り知れぬご先祖の想いがあるのかもと今の私は思います。
人生の選択の決断に相当のエネルギーが要り、選んだ道がどうであれ、その位置から前に進むのが人生。
今迄に沢山の選択を自分なりに決めてきました。自分で選べる時代に生まれた私の幸せ。仕事上、様々の高齢者から、女子であることで自分の人生を肉親や他人にゆだねて、ひたすらその道を歩くしかなかった、運命の語りを聴く機会があります。
さまざまな人生に乾杯!









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